恋愛リアリティ番組は視聴者に楽しさや感動を提供する一方で、出演者に対して責任を伴うことを忘れてはいけない。番組がどのようなメッセージを視聴者に伝えるのか、その選択は今後の恋愛リアリティの在り方に大きな影響を与えるだろう。

元タレントの羽賀研二さんが9月25日、強制執行妨害などの罪で逮捕された。この事件で逮捕された中には、特定抗争指定暴力団山口組暴力団組長も含まれることから、暴力団との関係も捜査されることだろう。

羽賀さんをめぐっては、詐欺などの罪で2013年から2度服役し、2021年に出所して芸能活動を再開していたが、今回で逮捕は3度目となる。

かつてのようにテレビでの活躍は叶わない状況だった中で、今年5月、ABEMAの番組の恋愛リアリティ企画に出演し、女子大生とカップル成立したことが話題となった。この番組はYouTubeで公開停止されず、今も視聴可能のままだ。

過去に罪を犯した芸能人がテレビや映画などに出演することの是非はたびたび論じられてきた。羽賀さんを恋愛リアリティ企画に出演させた背景には、どのような考えがあったのだろうか。

ABEMAのOBであるテレビプロデューサー、鎮目博道さんは「起用はおかしい」と指摘する。鎮目さんの寄稿をお届けする。

●メディアとしての根本的なあり方が問われかねない出来事だ

私はABEMAのOBだ。だからこそ、はっきりと指摘しておきたい。羽賀研二容疑者をドキュメントバラエティ『愛のハイエナ2』の恋愛リアリティショー企画に起用したABEMAはどう考えてもおかしい。その姿勢は厳しく断罪され、その責任も厳しく問われるべきだ。

メディアとしてのABEMAのあり方の根本を問われかねない重大な問題だと私は考えている。

誤解なきように申し上げるが、「犯罪者を番組に出したからおかしい」と言っているわけではない。たとえ過ちを犯した者であっても、きちんとその罪を償い、悔い改めようとしているのであれば、再びチャンスが与えられるべきだ。

さらに付け加えると、「地上波テレビが起用しないタレントを起用するABEMAの方針」を問題視しているわけでもない。

ABEMAはこれまで、地上波とは違うキャスティング方針による独自色を出して成長してきた。メディアの多様性という視点からしても決して悪いことではない。

しかし、そのような前提に立っても、羽賀容疑者の恋愛リアリティショーへの起用は許されるべきではなかった。

●「罪を犯した芸能人の再起」とはまったくの別枠で考えるべきケース

最も問題なのは、羽賀容疑者の犯罪者としての「性質」だ。彼は通常の「罪を犯した芸能人」の枠にとどまらず、いわゆる「反社」に近い存在として考えるべきだと思う。

2007年に詐欺・恐喝未遂の容疑で逮捕され、実刑判決を受けて服役。2019年には偽装離婚に関係する強制執行妨害容疑で逮捕されて、またも実刑判決を受けている。そして今回、強制執行妨害などの容疑で暴力団組長らとともに逮捕された。

詐欺、恐喝未遂そして暴力団組長との共謀…いずれも「反社」と関係する人が起こす犯罪に近い。さらに何度も実刑を受け服役しているにも関わらず、再犯していることからも「深く反省している」とは到底考えられないのではないか。

本人に過失があったり、「魔がさしてつい犯罪に手を染めてしまった」ケースとは明らかに性質の異なる経過をたどってきた。また、映像業界関係者であれば、「悪評」は、少なからず耳にしたことがあるかもしれない。

これらを総合的に考えれば、羽賀容疑者は「単純に罪を犯してしまった芸能人」と見なすことはできず、「反社に準ずる人物ではないか」と捉えるのが、業界で働く者の健全な感覚ではないか。「再犯可能性」も高いと見るのが妥当だろう。

罪を犯しながらも、立ち直りが評価されて、改めて活躍している芸能人もいる。「復活」のためには、業界側が彼らに手を差し伸べる必要がある。

しかし、「反社」は決して番組に起用してはならない。彼らは「番組に出た信用」を悪用し、健全な一般人を食い物にして蝕み、多大な悪影響を与え続ける。

メディアのみならず、健全な企業や個人も「反社」とは断固として関係してはならず、一切の利益を彼らに与えてはならないのは常識だ。テレビ局にはそのような責任と向き合う必要がある。だから、テレビは羽賀容疑者を決して番組に起用しようとしなかったのだ。

●羽賀研二容疑者の起用に感じ取れるのは「興味本位の姿勢」と「無責任さ」だけ

ところが、ABEMAは羽賀容疑者を番組に起用してしまった。

しかも、よりによって「ほぼ一般人に近いような、キスの経験もないという21歳の女子大生」も出演する恋愛リアリティショーに出演させ、「カップル」にしてしまったのだ。

これが罪深い事態であることに気づかなかったのだろうか。「ほぼ素人の真面目な若き女性」を「ほぼ反社と考えられる人物」の前に獲物として放り出し、演出上だけのことかもしれないがカップルにしてしまった。

たしかにABEMAは、地上波テレビがキャスティングしないような人物を積極的に引き受けて話題になってきた。

地上波に出られなかった頃の「新しい地図」(SMAPの元メンバーである草彅剛さん、稲垣吾郎さん、香取慎吾さん)に出演のチャンスを与えたのもABEMAだった。「少数派」「異端」として注目されることのなかった人物を次々にゲスト出演させて、若年層にも注目される新しい視点の報道番組を開拓してきたのもABEMAだ。OBである私はそのことをよく知っている。

そのような意義の感じられる「あえてテレビに出られない人物をキャスティングする姿勢」と、羽賀容疑者の起用とは、まったく異なるものだと断言できる。

厳しい言い方をすれば、感じ取れるのは、興味本位の姿勢と無責任さだけだ。

番組サイドは羽賀容疑者の「悪さ」もよく理解したうえで、あえて「プロのジゴロ」としての立ち位置を求め、「ジゴロをウブな素人たちの前に放ったら面白いことが起こるだろう」くらいの無責任さで起用したと思えてならない。

恋愛リアリティを好む若い視聴者層には、羽賀容疑者の犯罪歴など知らない人もいただろう。羽賀容疑者はこの出演実績を、彼を知らない世代の相手に対しても名刺代わりに使えただろう。

●メディアの責任より面白さや収益性重視…ABEMAの番組作りの「功罪」

恋愛リアリティ番組「テラスハウス」への出演がきっかけとなり、追い詰められて亡くなった木村花さんの出来事はまだ記憶に新しい。われわれテレビマンは反省し、素人に近いような出演者の安全を絶対に守らなければならないと決意したのではないのだろうか。

なのになぜ「キスもしたことのない21歳女子大生」を「反社にほぼ準ずると思われるような羽賀容疑者」と関わらせてしまったのか。出演者を守るどころか、下手をすれば彼女にトラウマや消えない傷跡を残してしまいかねない状況にしてしまったのは、他ならないABEMAだ。

ABEMAはスタッフも若い。そして、テレビ業界の外部に位置するサイバーエージェントの若いスタッフが、テレビ朝日の若いテレビ人とタッグを組むことによって、斬新で若い人にも受け入れられる面白い番組をこれまで制作してきた功績は大きいと思う。

それは反面、メディアとしての責任よりも、面白さや収益性を重視することにもつながってしまいがちだ。

残念ながら、ABEMAには「無責任で興味本位・収益本位な社風」があると思う。その怖さは私も在籍していた頃から認識していたし、「いつか大きな問題を起こしてしまうのではないか」という危惧を持っていた。

だからこれまでも、ことあるごとにABEMAには苦言を呈してきたし、今回もOBだからこそあえて厳しい言葉を言いたい。

羽賀容疑者の危険性や「準反社と考えられること」に気がつけなかった、あるいは気づいていたのに起用したのは、まっとうなメディアのするべきことではないし、決して許されない。

今からでもABEMAは真摯に反省すべきだ。出演者の起用方針を定めて発表するべきだし、羽賀容疑者に関係した出演者やスタッフへのケアをすべきだろう。



(出典 news.nicovideo.jp)

「日本司法書士会連合会・副会長サマ」は何故か書かないんですねぇ?