芸能野次馬ヤロウ

芸能ニュース中心に更新していきます。

    2024年04月



    スマホを操作しながら運転するドライバーは本当に多いですね。まずは自分の命を守るためにも、他人の命を奪わないためにも、スマホは運転中は触らないように気をつけなければいけませんね。

    NEXCO各社が大破した工事車両の写真などを発信し、工事規制帯に突っ込む事故への警戒を強化しています。作業員が危険にさらされている実態に、各社も手をこまねいているわけではありません。

    増える規制車両への衝突に注意喚起

    「工事規制中事故 多発!」という文言と共に、追突された規制車両と大破した乗用車の写真を2024年4月16日NEXCO東日本関東支社が公式X(旧:Twitter)に投稿しました。

    NEXCO各社は定期的にこうした注意喚起を行っていますが、高速道路で工事規制帯に進入する事故の件数は、2020年が704件、2021年が1095件、2022年が1457件と急増しています。

    事故の主要な原因のひとつが、いわゆる「ながらスマホ」で規制に気づかなかったケースと見られています。今回Xに投稿された画像でも「命よりスマホを取った あなたのせい」という言葉が写真に添えられていました。実際、進入した車両により作業員がはねられ死亡する重大事故も発生しているそうです。

    そのため、NEXCO各社では注意喚起だけではなく、ドライバーが衝突する前に気づくよう、ありとあらゆる対策を講じています。

    ひとつは、工事帯を目立たせる対策です。高輝度反射材や、バルーン式で大きく膨らみ、しかも光る人型の交通誘導安全標識「i光太郎くん」「i花子ちゃん」などは、各地で見かけるようになりました。

    よりハードな対策として挙げられるのが、「ロードジッパー」などです。日本語で「移動式防護柵」と呼ばれるものです。専用車両により、1個あたり680kgあるブロック状のコンクリート柵を整然と並べていくことで、車線規制の変化にも柔軟に対応しつつ、作業員の安全性も大幅に向上させることも行っています。

    しかし、そもそもスマホに夢中で前を見ていなければ、そうした対策にすら気づかない可能性もあります。そこで次なる対策が「音」と「振動」です。

    工事帯の手前の走行車線上にリング状の凹凸をつけ、それを通過する際の振動で通行車両に注意喚起する装置などがあります。また、特定の方向にのみ音を発する「指向性スピーカー」を用い、工事帯に近づくドライバーに対し、不快な音を聞かせる装置などの使用も試みられています。

    こうした事故の注意喚起では、「自動運転技術を過信しないで」ということもいわれます。前車に追従してアクセルブレーキ操作を自動的で行うACC(アダプティブ・クルーズ・コントロール)を用い、ペダルから足を離して走っているドライバーも少なくないと考えられますが、このときに前車が車線変更すると、所定のスピードまで加速を始め、そのまま猛スピードで工事帯へ突っ込んでいると思しきケースも見受けられます。

    そんなドライバーに、音や振動による注意喚起がどこまで効果を発揮するか。道路管理者の試行錯誤も続いています。

    工事規制に突っ込んだトラック(NEXCO中日本東京支社の動画より)。


    (出典 news.nicovideo.jp)

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    (出典 road-sign.biz)


    岡田さんが大腸がんと向き合う姿勢には本当に勇気をもらいます。手術のつらい経験を乗り越え、完治に向かって頑張っている姿に感動します。

    1 フォーエバー ★ :2024/04/29(月) 12:56:22.96 ID:bbD9CElY9
    2024年4月29日 8時10分 日刊スポーツ


    (出典 image.news.livedoor.com)


    岡田斗司夫氏のYouTubeから

    評論家、作家など幅広い活動で知られる岡田斗司夫氏(65)が、大腸がんで手術を受けたことを29日までに自身のYouTubeチャンネルで公表した。

    岡田氏は「生還しました」とのタイトルで動画をアップ。「大腸がんで入院しておりまして、都内の病院で10日間入院して、内視鏡手術を受けてきました。大腸がんと言っても、ステージの1ぐらい、0か1の間で1寄りと言われていて」と振り返ると、リンパ節への転移がなかったことも明かし「これで完治の見込みなんですね」と報告した。

    「ただね、すごいつらかったんですよ、手術が」と、苦労も語ると「もう1回、手術したら寿命が5年ぐらい伸びると言われても断ろうかな」と笑った。

    前週24日に退院したが「現状は体力がメチャクチャ落ちている」と説明。「フル充電してもすぐに残量30%ぐらいになっている。食い物を消化するだけで体力を使って、ごはん食べた後動けなくなる、というのを生まれて初めて体験した」と話した。

    岡田氏は80年代にアニメ制作会社「ガイナックス」を設立し、現在でも評価の高い「王立宇宙軍 オネアミスの翼」「ふしぎの海のナディア」などを世に送り出した。サブカル全般に精通し、著書も多数。自身の社名にもついた「オタキング」の愛称でも知られる。

    https://news.livedoor.com/article/detail/26316587/

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    一人暮らしの中学生としての経験はなかなか珍しいですね。すがちゃんの勇気に感動しました。

    【写真・画像】“中1から一人暮らし”すがちゃん最高No.1が語る壮絶な子ども時代 「生きていく上で大事なのは“ツッコミ”。変な誘いを回避できた」 1枚目

     栃木県那須町で焼けた夫婦の遺体が見つかった事件や闇バイトなどの背景にあると指摘される、匿名・流動型犯罪グループ、通称「トクリュウ」の存在。SNSなどの呼びかけで集まっては解散を繰り返し、犯罪に及ぶ集団のことだ。『ABEMA Prime』では若者が手を染めてしまう背景として貧困や劣悪な家庭環境が関係しているのでは?というテーマで議論をする中で、お笑いトリオ・ぱーてぃーちゃんのすがちゃん最高No.1が過酷な生い立ちを語った。

    【映像】すがちゃん最高No.1に聞く過酷な家庭環境

     すがちゃん最高No.1は3歳で母親と死別後、2階建ての家で父・叔母・祖父・祖母と5人で暮らす。しかし、父がたびたび女性を家に連れ込んだり家出したりしたことで、叔母が疲弊し一緒に入水自殺未遂。叔母だけが家を出ていくと、祖父と死別、祖母が施設に入居し、中学1年生一人暮らしを開始することに。友達の家で料理を学ぶなどし生き抜いてきた。上京後、番組ADを経て芸人になり、「家族貧困ネタ」を披露したところ共感の声が寄せられた。

     すがちゃん最高No.1は「親父から“悪いことをしてもいいけど、ダサいこと、男としてかっこ悪いことをするなよ”と言われていた」と説明。「1人で住んでいることは、学校の友達とか周りの誰にもバレたくなかった」と話す。

     生活資金は、祖母の年金の一部や叔母の仕送りなどで月2、3万程度。「スーパーも中学生が1人でいるのはおかしいので、あまり人がいない閉店間際の時間に行ったり、あたかも料理が好きそうな男の子の顔をしながら、苦しさを出さずに歩いていた」と明かす。

    【写真・画像】“中1から一人暮らし”すがちゃん最高No.1が語る壮絶な子ども時代 「生きていく上で大事なのは“ツッコミ”。変な誘いを回避できた」 2枚目

     そんな環境の中で非行に走ることは考えなかったのか。「例えばヤンキー漫画で、ケンカをしてもダサい金儲けはしないようなかっこいいキャラがいる。そういうものに強く憧れを持っていて、犯罪には行かなかった」。

     逆に引き込まれそうになったことはないのか。「うちが溜まり場になることもあったし、周りにヤンチャなツレもいた。ただ、生きていく上で“ツッコミ”が大事だと思っていた。『こういうことをやらない?』と誘われた時、『いや』と言うより『するか!危ない』という感じで突っ込むと、ライトに回避できる感覚があった」と語った。

     元埼玉県警で刑事コメンテーターの佐々木成三氏は「その群れに入っては駄目だ、そこに流されない、という感覚があったのかもしれない」とコメント。ネット掲示板「2ちゃんねる」創設者のひろゆき氏は「友達が多かったのか? まともな友達もいたら、こいつはヤバい奴だと比較できる」と尋ねる。

     これにすがちゃん最高No.1は「友達は多かった。普通と普通ではないことの区別はちゃんとついていた」と答えた。(『ABEMA Prime』より)

    “中1から一人暮らし”すがちゃん最高No.1が語る壮絶な子ども時代 「生きていく上で大事なのは“ツッコミ”。変な誘いを回避できた」


    (出典 news.nicovideo.jp)

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    外国の方にとっては、日本のバラエティ番組はとてもユニークで面白いものが多いと思う。ジョージア大使も興味を持っているんだろうな。

    1 煮卵 ★ :2024/04/29(月) 10:14:39.03 ID:lBiBLlqN9
    「お金をもらって仕事でやるのと同等のクオリティできっちり取り組み、睡眠を削ってまでやる。
    これは外国の人間からしたら、まったく信じられないことです」

    駐日ジョージア大使で親日家のティムラズ・レジャバ氏が、テレビ番組『欽ちゃんの仮装大賞』を見て気づいた「日本人の素晴らしさ」とは? 
    新刊『 日本再発見 』(星海社)より一部抜粋してお届けする。(全2回の2回目/ 前編 を読む)

    ◾『欽ちゃんの仮装大賞』のために努力できる日本人はすごい

    私は年末年始のテレビ番組が好きなのですが、『欽ちゃんの仮装大賞』では芸人やタレントではない一般の素人の方々がとんでもない発想で力を合わせて出し物を披露しますよね。
    仮装を発表したあとのインタビューでは「会社が終わったあとに毎日みんなで練習して……良いものが作れたなって」などと言って声を詰まらせて涙を流したりします。

    『仮装大賞』は入賞すれば賞金がもらえますが、ほとんどの参加者はお金目当てに努力しているのではなく、何かを目標にして一丸となってがんばること自体に価値を見いだしていると思います。
    趣味に情熱を注ぎ、あれだけの正確な表現ができる日本人はすごいとしか言いようがありません。

    私や妻が参加している子供のPTAや保育園の保護者会もそうです。
    みなさん本職ではなく、学校や保育園からお金をもらっていないどころか頼まれてもいないことにすら、ものすごい時間をかけて議論をし、超細かいところまで丁寧にやっています。
    うちの妻が入っている保護者会LINEは、1日中通知が止まりません。

    私もキッコーマン時代に任意参加のクラブに入ってみた際に、参加者が議題別に書類やプレゼン資料を作って賛成反対の決議を取って、お金の運用についての話し合いをし……と熱心で、「ボランティアなのに、よくここまでしっかりやるな」と驚かされました。
    日本人は趣味やプライベートの団体に対して、お金をもらって仕事でやるのと同等のクオリティできっちり取り組み、睡眠を削ってまでやる。
    これは外国の人間からしたら、まったく信じられないことです。

    関連することとして、日本人は社会での行いのレベルが非常に高いです。

    たとえばゴミ出しに関して、とても複雑で外国人にとっては難解なほどのルールを徹底的に守ります。
    ジョージアのお客さんが日本に来たとき、みんな口を揃えて言います――「街の清潔なことに驚いた。どんな国に行ってもこんなのは見たことがない」。
    極め付けが私の妻の発言です。
    「日本ではゴミさえ抱きしめられるわ」。
    大袈裟に聞こえるかもしれませんが、何かいろんなことを集約している気がします。

    ◾日本人はとにかく基本的なレベルが高い

    日本人は「普通の人」が普通でないくらいにすごい。基本的なレベルが高い。このことについて、もっと自信を持っていいと思います。

    なんでここまでするのか、さまざまな分析ができると思います。
    実際にこれを読んでいる人も、脳裏で自分なりにあれこれと巡らせながら考えているのではないでしょうか。

    しかし、日本人から何度かこのような言葉を聞いたことがあります――「何もしていないと不安になる」。

    多くの解説は私からは控えますが、私にとって、このことを巡って一番しっくりくる説明だということだけ言い残しておきます。

    ティムラズ・レジャバ/Webオリジナル(外部転載)

    [文春オンライン]
    2024/4/29(月) 6:12
    https://news.yahoo.co.jp/articles/3b797b0aa45403d22fc28dd21ab8503c80322c7c

    【【社会】「外国の人間からしたら、まったく信じられない」 駐日ジョージア大使が『欽ちゃんの仮装大賞』は“日本でしか成立しない”と考えるワケ】の続きを読む



    三淵嘉子さんのような強い意志を持った女性がいることに敬意を表します。真の男女平等を求めるためには、個々の意思や行動が重要ですね。

    NHK連続テレビ小説虎に翼』の題材となった三淵嘉子(みぶちよしこ)氏は、日本における初の女性弁護士であり、初の女性判事であり、初の女性裁判所長となった人物です。女性差別がまだ激しかった昭和前期に道を切り拓いた三淵氏の人生は、苦労が多く、しかし魅力に満ちたものでした。同氏の歩みを、書籍『三淵嘉子 先駆者であり続けた女性法曹の物語』(神野潔著、日本能率協会マネジメントセンター)より一部抜粋して紹介します。

    <前回記事> 【朝ドラで話題】ついに裁判官となった三淵嘉子(34歳)に、裁判長が告げた「驚愕のひと言」

    三淵嘉子(48歳)、家庭裁判所判事になる

    1962(昭和37)年、48歳の嘉子は東京家庭裁判所判事となりました。もともと、嘉子は自身が家庭裁判所で働くことに前向きではありませんでした。自分が家庭裁判所で働くことがきっかけになって、女性裁判官たちが家庭裁判所ばかりで働かされるようになることを心配していたのです。

    嘉子自身は、「裁判は、結局は裁判官の個性ですからね。男性だから女性だからというより、裁判官個々の適格によるのです」と後に述べていますが、裁判所全体には「殺人とか婦女暴行の審理は女性には痛々しい」と考える傾向が(つまり、前回記事で述べた「特別扱い」が)あり、女性は家庭裁判所が向いているという声があったためで、そのようなレッテル貼りをされ、他の裁判所での活躍の機会を奪われることを、嘉子は警戒していました。

    その気持ちから、嘉子は、法律によって事件を解決する訴訟事件で修業を積んだ上で、人間の心を扱う家庭裁判所の裁判官になろうと方針を立てており、50歳前後にならなければ家庭裁判所裁判官は引き受けないと決めていたのです。

    やがて嘉子は、少年審判の充実と少年の健全な育成とに心血を注ぐように

    嘉子自身は家事審判が希望だったのですが、ポストの関係で少年部(第9部)に所属することになりました。

    嘉子がそれまで担当してきたのは民事訴訟で、刑事裁判を担当したことはなかったので、少年事件を担当することには不安もありました。

    しかし、家庭局時代の上司(初代最高裁家庭局長)であった宇田川潤四郎に少年事件は少年を処罰するものではないから、刑事的な思考ではなく、むしろ民事の感覚が大切だと励まされ、前向きな気持ちになっていきます。

    やがて嘉子は、少年審判の充実と少年の健全な育成とに心血を注いでいくようになります。

    少年審判の手続は、少年法に細かな規制があるわけではなく、少年それぞれの個性や状況に対応することが重視され、審判にあたる裁判官の経験や人柄などによって作り上げられているものでした。

    嘉子は、先輩の裁判官たちからそれらを受け継ぎつつ、自身の考えも盛り込みながら、少年審判を充実した意味のあるものにしたいと考え、そこにやりがいを見出していきます。少年本人、補導委託先の主幹、調査官、裁判官といつも納得のいくまで話をするというのが、嘉子のスタイルになっていきました。

    また、自身が受け継いだものを次の世代に繋いでいこうとする意識も強く持って働いていました。

    家庭裁判所判事としての嘉子の姿勢

    そもそも家庭裁判所というところは、家事事件(家庭内の紛争。例えば離婚や遺産分割など)と少年事件(未成年者の犯罪、非行など)とを扱うわけですが、嘉子は家庭の平和と少年の健全な育成をはかるという目的自体は、この2つにおいて一致していると考えていました。

    家庭裁判所では、法律の視点だけでなく、当事者の気持ちや環境を深く理解することが求められます。家庭裁判所が持っている独特の(他の裁判所とは大きく違う)雰囲気に、赴任当初の嘉子は戸惑うこともあったようです。

    嘉子が出会った家庭裁判所で少年事件を担当する裁判官たちは、少年のためにという使命感や、弱者の幸せを守る「とりで」としての信念をもち、当事者のためにより良い方法を見つけ出していこうと考えていました。このような家庭裁判所の価値観と雰囲気とに、嘉子は当初驚いたわけですが、とはいえこれは、嘉子自身がかつて家庭局時代にイメージしていた家庭裁判所の姿でもありました。

    嘉子は、家庭や学校、職場からはみ出した少年を、健全な社会に適応できるようにしていくこと、言い換えれば少年の生活環境を作り上げていくことに、責任を感じて取り組んでいきました。

    殺人、強盗などの悪質な少年事件においても、嘉子は1対1で裁判をする際には、警察の前で少年たちが見せる犯罪者の面も、裁判官の前で見せる幼い少年の面も、両方ともそれは少年の真実の姿であると考え、少年の中にある純粋な人間的な心を感じることに努め、少年の更生の可能性を信じると決めていました。

    嘉子は、家庭裁判所の意義を「裁判所の福祉的役割」だと説明しています。

    そこには、一般の裁判所の厳格な雰囲気と比べて、「人間の福祉を考える人間的雰囲気」があり、それを大事にしていきたいと心に誓っていました。

    また、嘉子は、少年審判における調査官の存在をとても大事に考えていました。

    調査官の職務は、法的な知識・思考だけではなくて、行動科学(心理学・教育学・社会学など)に関する専門的な知識や思考をもとに、多様な調査(家庭内のトラブルの解決や、少年の立ち直りに向けて)を行うことですが、嘉子はこの専門性の部分を特に重視し、さらに裁判官との協同が大切だと語っていました。

    本書『三淵嘉子 先駆者であり続けた女性法曹の物語』で先に述べたアメリカ視察の際の感想と同じ考え方で(ただし、そちらの感想は主に家事審判に対してのものでしたが)、専門性を重視するという嘉子の姿勢は一貫していたことがわかります。

    神野 潔  東京理科大学教育研究院 教授  1976年生まれ。2005年、慶應義塾大学大学院法学研究科公法学専攻後期博士課程単位取得退学。東京理科大学理学部第一部准教授、教授等を経て、現在、東京理科大学教養教育研究院教授。専門は日本法制史。主著に『教養としての憲法入門』(編著)、『法学概説』『概説日本法制史』(共編著)(弘文堂)などがある。

    (※写真はイメージです/PIXTA)


    (出典 news.nicovideo.jp)

    【【朝ドラで話題】“真の男女平等”を求めた三淵嘉子…「50歳前後になるまで、家庭裁判所の配属は引き受けない」と決めていた深いワケ】の続きを読む

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