芸能野次馬ヤロウ

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    カテゴリ:社会人 > 元芸能人


    ディズニーランドでもオーラを発散している様子が伝わってきます。

    1 フォーエバー ★ :2023/04/30(日) 07:48:12.51ID:zA63XzAh9
    4/30(日) 7:11配信

    スポーツ報知
    元・成宮寛貴の平宮博重さん

     成宮寛貴として活動していた元俳優の平宮博重(なりみや・ひろしげ)氏が30日までに自身のインスタグラムを更新。“夢の国”でのショットを公開した。

    【写真】男臭いイケメン3ショット

     平宮は「友達とディズニーランドに行ってきました!!快晴、待ってる時間も全部楽しかったです」と報告。「かなりたくさん歩いたので、友達が買い物してる間、ちょっと休憩」と友人らと階段に座り、イケメンオーラたっぷりな写真をアップした。

     さらに「ずっと今までチュロスのこと、チョロスだと思ってた」とディズニーリゾートで人気のスイーツの名前を間違えて覚えていたことを告白していた。

     この投稿には「絵になりますね」「ちょっと休憩中がもうカッコイイ」「見ているだけで、ため息出ます〜」「そういう勘違いあるよね!」「チョロス!って可愛い名前じゃん」「ホントこの写真はCDのジャケ写ばりに決まってる〜」などの声が寄せられた。

    https://news.yahoo.co.jp/articles/370a3c60840e8c410ce3eadd98262993781d24c2


    (出典 hochi.news)

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    スゴいです。

     2019年6月の「闇営業」報道によって、社会的信用を一気に失ったカラテカ入江慎也氏。あまりのショックから一時期は、体も頭も働かない氏だったが、“ある人物”との出会いをきっかけに事態は好転する。

     芸能界を引退した彼が、「お掃除のプロ」として再起できたワケとは? 痛恨の自省録『信用』より一部抜粋してお届けする。(全2回の2回目/前編を読む)

    ◆◆◆

    地に足をつける

     僕はまた部屋に閉じこもるようになっていた。カーテンの隙間から差し込む8月の光はやけにまぶしく、気持ちがさらに落ち込んだ。

    「そろそろ前を向かないと……」と思うのだが、頭も体も動かなかった。

     ありがたいことに、僕を気遣ってくださり、新しい仕事に誘ってくださる方もいた。

     たしかに、このままこうしていても何も変わらない。失ってしまった社会的信用も、世間の僕を見る目も変わらない。

     でも、いったい何から始めたらいいんだろう。

     矢部からは「地に足をつけて、できることから頑張っていったらいいと思う」と、言われていた。地に足をつける。これまでの僕は地に足がついていなかったんだろうか。

    「入江、大丈夫か? お前、最近フワフワしてるぞ」

     放送作家の鈴木おさむさんの言葉がよみがえってきた。僕が人脈を武器に仕事をし出した頃から、そんなふうにたびたび注意されていた。

     今田耕司さんもそうだった。

     僕が社長さんたちとのお付き合いの中で、派手なブランドものの服を着始めたとき、僕の変化を素早く感じ取り、「もう少し自分の見られ方を考えたほうがいい」と忠告してくださった。

    「お前が後輩を社長さんとの食事会に誘うのは後輩のためやない。お前が社長さんの前でええカッコしたいだけや」とも言われていた。

     僕は「そんなことありません。皆、喜んでくれてます」と即座に否定したが、今思えばその言葉の通りだった。

     今田さんはずっと「入江は脇が甘い。注意せなアカン」と言い続けてくださっていたのに、僕はずっとその言葉を無視し続けた。

    好きだったこと

     進むべき方向も見つからず、時間ばかりあるので、僕は毎日、部屋の掃除をしていた。

     これまでしたことのない細かな場所、隅々まで丁寧に。コントの衣装や台本などは、芸人を辞めた僕には「もう必要ない」と、思い切って捨てていった。

     寂しくはあったが、ガランとした部屋を見渡したら、意外にも気持ちが少しすっきりしているのを感じた。「掃除って、なんか気持ちいいな」と思った。

     子供の頃、ボーイスカウトでゴミ拾いのボランティアをしていたことも思い出した。結構楽しくて、夢中になってゴミを拾った。

    「またやってみようかな」と、それから毎朝、家の周りのゴミを拾いに出るようになった。

     小さい頃、ゴミ収集車を見るのが好きだったことも思い出した。

     ポイポイと投げ込まれるゴミの袋がおもしろいように車の中に吸い込まれていく。それをいつも、ワクワクしながら眺めた。

     焚火でゴミを燃やすのも好きだった。

    あれ? 俺は掃除が好きなのかもしれないな」と思った。

    「掃除って、すごいかもしれない」

     ある日のことだった。新たな一歩を探して外に出ることにした僕は、渋谷駅前でゴミ拾いをしている人たちを見つけた。

     次の瞬間には、その人たちに「今から参加できますか?」と声をかけている自分がいた。「何かできることをやろう」「新しいことを始めよう」という気持ちが自分の中にたしかに湧いてきているのを感じた。

     ボランティアでゴミ拾いをしているという彼らの仲間に入れてもらい、無心で目の前のゴミを拾っていった。

     最後に全員集まって、一人ひとり自己紹介をすることになった。

    「今日、初めて参加しました、入江です」と言って、マスクキャップを取ったら、全員が目を丸くして、「入江さん!」「なんでいるんですか!」と驚きの声を上げた。

     その翌月のゴミ拾いにも参加した。「やっぱり、掃除が好きだなあ」と思った。

     掃除はその場をきれいにするだけでなく、掃除をする人間の気持ちもすっきりきれいにしてくれる。きれいに掃除された空間を不快に思う人もいない。掃除を通じて皆、清々しく、いい気持ちになる。

     掃除って、すごいかもしれない。

     汚かったところがきれいになる、自分がやったことの成果がその場ではっきりとわかる。やり甲斐や達成感も大きいはずだ。

     これからの第2の人生、新しいことにチャレンジするのなら、そういう仕事がいいんじゃないかと思った。

    面接

     僕は早速、ネットで清掃のアルバイトを募集している会社を探し始めた。吉本の先輩の中には清掃の会社を経営している人もいた。働いているのもほとんど芸人で、環境的に僕にはうってつけだった。

     でも、今の状況で安易にこれまでの人脈に頼れば、また迷惑をおかけしてしまうかもしれない。人脈で失敗した以上、人脈に頼るのではなく、今の自分の力で一から始めてみようと思った。

     家から近いところにしようと、「目黒区 清掃」で検索してみた。仕事場が家から遠いと、行くのが億劫になってしまうかもしれない。僕は自分を信用できていなかった。

     検索して、最初にヒットした会社に早速、電話をした。応対してくれたムライさんという方がその店舗の代表ということだったが、若そうな声だった。

     アルバイト希望ということを伝えると、すぐ面接をしてくれることになった。

    「現場終わりなので、会社じゃなくていいですか? 履歴書もいらないので、とりあえずお会いしませんか」ということで、翌日、指定された時間より少し前に、待ち合わせ場所の喫茶店に向かった。

     しばらく待っていると、胸に『おそうじ本舗』というロゴが入った青いポロシャツを着た男性が入ってきた。

    ムライさんですか? 入江です」と声をかけると、「え! イリエって、あの入江さんですか!」と、驚かれた。

     聞けば、ずいぶん前からアルバイト募集の広告を出していたのだが、まったく応募がなかったそうだ。初めてのアルバイト希望者が僕だったらしい。

     ムライさんは芸人が大好きで、お笑い番組もよく見ているということだった。それなのに、騒動のことなどにはまったく触れず、清掃の仕事の説明を丁寧にしてくれた。

     オフィスや倉庫、店舗などの他に、個人宅にも行くこと。エアコンやガスレンジ換気扇、浴室など、特殊な洗剤や機械を使うため、現場でそれを覚えていくこと、などなど。

    「何か質問はありますか?」と聞いてくれたムライさんに僕は言った。

    「清掃の基礎を教えていただいて、2カ月で独立したいんです。2カ月限定で働くということでもいいでしょうか?」

     何を血迷っていたんだろう。雇っていただこうとしていながら、辞める前提で自分勝手に話を進めた。今思えば、ムライさんに対してものすごく失礼だし、恥ずかしい限りの質問だが、僕は大真面目だった。

     ムライさんは嫌な顔もせず、

    「2カ月でも、死ぬ気で頑張れば、覚えられると思いますよ」と、真っ直ぐに僕を見て、答えてくれた。

    「ただ、僕は入江さんより年が7つ下で、社員が1人いるんですけど、彼も入江さんより年下です。それでも大丈夫ですか?」

    「まったく気にしないです」

     それで決まった。2日後から働かせてもらえることになった。

    新しい一歩

     ムライさんのところでは結局、1年働かせてもらうことになった。なぜ、あのとき「2カ月で独立」などと言ったのか。

    「何かしなくちゃ」「世間の人に認めてもらえるようなことを早く始めなきゃ」と焦っていたのは事実だ。

     肯定的に考えるとすれば、それまでの僕は「目標設定」を大事にしていた。

     何かをするとき、「いつまでにどうなる」という目標をもって始めるのと、何も考えずに始めるのとでは大きな差が生まれる。

     同じ作業をするのでも、目標があれば、それに向かって、必要な情報を自分から取りに行くことができる。どんどん経験や知識が蓄積され、目標に近づくごとにモチベーションも上がっていく。

     目標がなければ、ただ漫然と作業を繰り返すだけだ。そんなことは時間の無駄だと思っていた。

     芸人の後輩たちにも「ただ生活のためにバイトをするのはやめろよ。そういう時間があるなら、ネタをつくったり、先輩と遊んだりしたほうがよっぽど芸人としての役に立つ。同じバイトをするなら、ネタを探すつもりでやれよ」と、よく言っていた。

     将来が何も見えていなかった自分を奮い立たせる意味で、このときも「2カ月で独立」なんていう、とんでもない目標を瞬間的に立ててしまったのかもしれない。

     もっとも、「42歳にもなって、新しくアルバイトを始めるなんて……」という変なプライドもあったと思う。

     何はともあれ、僕はようやく一歩を踏み出すことになった。

    (入江 慎也/Webオリジナル(外部転載))

    闇営業報道によって何もかも失ったカラテカの入江慎也はなぜ立ち直ることができたのか? ©getty


    (出典 news.nicovideo.jp)

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    頑張っているようだ。

    1 jinjin ★ :2023/02/20(月) 09:40:53.41ID:vOgyzYXw9
    押尾学が“出所後の生活”を語る「もう一度、人間として認められたい」


    ’00年代、俳優・ミュージシャンとして世間を騒がせ、’09年の逮捕をきっかけに芸能界を退いた押尾学。

    今、そんな彼が歌舞伎町のホストクラブで顧問を務めている。
    ’14年12月の仮出所後から、「もう一度、人間として認められたい」ともがき続けている彼は今、何を思うのか。


    押尾学、歌舞伎町に現る。

    ──どういった経緯で、ホストグループ「シンスユー」の顧問役についたのでしょうか?

    押尾:もともとグループの会長と仲がよくて、昨年6月ごろに「グループの顧問をやってもらえませんか?」と言われて。最初は断っていたんですけど、熱い思いで何度も誘ってもらったので、お引き受けしました。

    ※「シンスユー」
    元ホストの優士が’07年に新宿・歌舞伎町で創業したホストグループ。現在は全国に17店舗を展開。総勢300人を超えるスタッフが在籍

    ──具体的にはどんな仕事を?

    押尾:ホストの世界は全然わからないので、プレーヤーは厳しい。ですから、経営面のアドバイスをしたり、30歳以上のホストだけが働くグループ店「シンスユークラシック」を社長と一緒にPRして盛り上げる手伝いをさせてもらっています。

    トレードマークのシルバーヘアは「白髪」

    ──久しぶりに押尾さんを見た読者は、シルバーヘアに驚く方もいそうな気がしますが。

    押尾:これ、白髪なんです。逮捕されて拘置所に入ったら、魂とともに色も抜けちゃって。本当にハゲなくてよかったですよ。

    ──そうだったんですね。出所してからも、ゼロからセカンドキャリアを築かないといけない大変さはありましたか?

    押尾:ありました。私の場合は罪を*てしまったので、簡単には社会が受け入れてくれない。自分に関する話題がネットニュースになるたびに、インスタグラムのDMに「*」とか「なんでお前生きてんの?」っていまだに届きますから。


    人として信用がないことがツラい

    ──出所後、仕事はすぐに見つかりましたか。

    押尾:大変でしたよ。一時期はバイトもしてましたが、現場に変な人がいて続けられなくなったり。それで5年前に建設業を営む知り合いが声をかけてくれた。ただ、押尾学が本名なので支障がいろいろあって。クレジットの審査も通らず、銀行の法人口座もつくれない。人として信用がないことがこんなにツラいのかと。社会から*と言われているような気持ちでした。

    ──そんな環境から再び犯罪に手を染めてしまう人も多い。

    押尾:その気持ちはわかりますし、私にも甘い話や誘惑がたくさん来ました。ギリギリで耐えられた理由ですか……? 今すべてを終わらせたら、悔しさしか残らないと思ったんです。

    ──手を差し伸べてくれる友人はいなかったんですか?

    押尾:私の調子がいいときに「兄貴」とか言って慕ってくれてた知人や後輩は、誰も連絡が取れなくなりました。それから刑務所に入っている間に思いを寄せていた女性がいて、出所して会いに行ったら、どこぞの社長とデキてて。それもショックでしたね。今はもう芸能界で繋がっている人は誰もいないです。

    以下、ソース先で
    https://news.yahoo.co.jp/articles/9200b1a81fba2fd7272f4aced2fb29228a60f550

    (出典 i.imgur.com)

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    芸能界から離れて、頑張っている。

    1 冬月記者 ★ :2022/11/28(月) 22:11:36.53ID:jGiS+X5J9

    (出典 i.imgur.com)


    【独占】押尾学が新宿・歌舞伎町ホストクラブの顧問になっていた!「もう昔の“押尾学”はいない」


     東京都新宿区歌舞伎町にある、ホストクラブ『シンスユークラシック』。歌舞伎町を中心に複数のホストクラブを展開する『シンスユー』グループで、唯一30歳以上のホストだけが働いている“大人ホストクラブ”だ。この場所でひと際目立つオーラを放っていたのが、元俳優の押尾学だ。

     2009年以降、芸能界を退き、復帰の意向もないと明言していた彼が、現在その身を置くのは夜の世界なのだ。週刊女性がそこを訪ねると、渋い白髪に黒いスーツ姿の押尾本人が、優しい語り口でインタビューに応じてくれた。

     一体、どうしてホスト業界に?

    「もともと、『シンスユー』グループの会長と仲がよかったんですよ。彼といろんな話をしているうちに、『シンスユークラシック』(以下、『クラシック』)社長の和地さんを紹介されて。ここのお店が開店して1年3か月ほどたったタイミングで、会長と和地社長とで“新しいことをしよう”という話になって。そのときに、会長とのご縁で“なにかおもしろいことを”と私も加わりました。かといって、年齢も年齢ですし、昼の仕事もやっているので、いい意味で“プレイヤー”っていうわけにはいかなくて。打ち合わせを重ねるうちに、“グループ全体の顧問をやるのはどうですか”と提案されました。そして、若いスタッフや、『クラシック』にいる30歳以上のホストたちに、とにかく少しでもエネルギーを与えてほしいと。会長と社長には男として魅力があったので、この方々は人を利用しないと思いましたし、和地社長はエネルギーの塊で、そういった部分でも波長が合ったので、“何ができるかわからないけれどもやってみます”ということで始めました」


    人生でいろいろな経験をした

     “顧問”は、いわゆる“ホスト”とは違う立場だそう。

    「グループ全体の様子を見てスタッフの相談に乗ったり、昼の仕事の人間で“こういう人紹介できない?”“こういう人知らない?”といったときに人をつないだり、一般的な仕事と変わらないですよ。それがたまたま夜の世界だっただけです。私も夜の世界はハッキリ言って“ド素人”なんですけど、これまでの人生でいろいろ経験したので、これはこれで何かのプラスになる気がして」

    まったく知らない場所に足を踏み入れた感想は?

    「やってみると、結構おもしろいです。お客さんもスタッフもいろんな人がいるじゃないですか。だからすごく勉強になります。夜の仕事なので、いろんな意見があると思いますし、以前は私も偏見がありました。でも、実際にこのグループの会長やほかの経営者さんにお会いすると、とにかくすごい。驚くほどしっかりしていますし、人によってはいい意味でケチだったりするんです。やっぱり、苦労もされているのでしょうね。プレイヤーの方は、元気な子もいれば暗い子もいたり、いろんなタイプがいます。それはそれぞれの人生なので、私が口を出すことはないですけどね」

     では、現役ホストにアドバイスをするならば……。

    「まず見た目はきれいに。清潔感はエチケットですから。それぐらいです。“歯のホワイトニングして”とか(笑)」

     顧問としてグループ全体を活性化させるべく、まず『クラシック』で毎週金曜日、1日2組限定ではあるが、“スーパーフライデー”と銘打って押尾自らが席について接客している。

    「やっぱり、“一緒にやろう”って握手をした以上、ここのお店はなんとか盛り上げたいんですよ」


    今もインスタには“誹謗中傷”が届く

     しかし、店の宣伝のためのSNSのコメントには、誹謗中傷が寄せられることもあるという。

    「まあ“誹謗中傷されてなんぼ”というのはありますけど、気分はよくないですよね。あんまりこういうこと言っちゃいけないんでしょうけど、3か月に1回くらいインスタにすごいのがきます。“お前なんで生きてんの”“呼吸すんな”とか“*”“てめぇなんで笑顔でSNSやってんだよ”とか……」

    記事全文はこちら
    https://news.yahoo.co.jp/articles/d8df13ecccea9a77340ec7324d877660a3e67ae9?page=1

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    ひっそり暮らしている。

    1 ひかり ★ :2022/10/11(火) 18:13:26.10ID:CAP_USER9
    「今年2月に宮崎県で『響王』という九州だしスパイスが発売されたのですが、料理の下味からフレンチ、和食や中華まで幅広く使えるとあり、人気を集めています。6月から全国の100円ショップ『ダイソー』でも取り扱いが始まりました。この商品をプロデュースしているのが、何と川越達也シェフなんですよ」(ネットニュース編集者)

     今から10年ほど前、甘いルックスと真逆な辛口のグルメ評論がウケ、バラエティー番組で引っ張りだこに。

    「2013年にグルメレビューサイト『食べログ』の《水だけで800円も取られた》という投稿に対して、《いい水を出しているんだもん》と反論したことで、大炎上。それがきっかけで経営する店が閉業に追い込まれるなど、ダメージを受けることになってしまいました」(スポーツ紙記者)

     2017年には『週刊文春』の取材に対して、

    《世間から忘れられることを望む》

     と答えていたものの、2019年にはブレイクするきっかけとなった『お願い!ランキング』(テレビ朝日系)の企画「美食アカデミー」で3年ぶりに復帰した。

    「テレビ復帰をしたのは“自分が世に出たきっかけだったから”と、あくまで恩返し的な意味で出演したようです。翌年11月まで同企画に出演しましたが、その後は再びメディアに姿を見せることはありませんでした」(テレビ局関係者)

     現在はどのような生活を送っているのだろうか。移住先である長野県で話を聞いてみると、

    「いまの奥さんの実家がこのあたりみたいで、再婚を機に引っ越してきたみたいだね。軽トラックがメインのこの田舎町では珍しい品川ナンバーのベンツに乗っているから、地元ではかなり有名だよ」(近隣住民)

     子どもの送り迎えもする、イクメンのようだ。

    「新型コロナの感染が拡大してしばらくは、よく子どもと一緒にいるところを見かけたよ。義父の田んぼの稲刈りなども手伝ったりしているようだし、悪い評判は聞かないね」(別の近隣住民)

     9月下旬、東京の仕事から戻ってきた川越シェフを直撃した。

    「本宅は東京にあるので、行ったり来たりしているような状況ですね」

    ─現在はどのようなお仕事をされているんですか?

    「レストランのアドバイザーや、出身地の宮崎でお菓子など4つの商品のプロデュースをしています。今後はあくまでも裏方としてやっていく予定なので、メディア復帰は考えていません」

    ─以前はお店も経営されていましたが。

    「年内に出店するために動いていますが、そこもアドバイザーとして関わる予定です」

    ─田舎暮らしの魅力は?

    「家庭菜園もしているのですが、自分たちで育てた野菜やお米を毎日食べられることですね。今は家族中心の生活をしているので、子どもの行事は必ず参加するようにしているんです。実は今から子どもの行事があるので……」

     と記者に一礼。そして、「せっかく東京から来てくれたのでどうぞ」

     と、持っていた袋からシャインマスカットを取り出して記者とカメラマンに渡すと、自宅へ戻っていった。

     辛口ではない日々を送っているようだ─。

    週刊女性

    https://news.yahoo.co.jp/articles/ba829b78ae399d76b8ba7cad89da62129e41af42?page=2
    突然の訪問にもかかわらず、特に驚く様子もなく、現在の生活について丁寧に答えてくれた川越達也シェフ

    (出典 jprime.ismcdn.jp)

    直撃後は家に向かって走っていったが、最後にジャンプでポーズをとる川越達也シェフ

    (出典 jprime.ismcdn.jp)

    人気の『九州だしスパイス響王』

    (出典 jprime.ismcdn.jp)

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