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    衝撃


    ドラえもんジャイアン声優として知られている木村昴さんが、重大なお知らせをYouTubeで発表しました。動画内では神妙な面持ちで「こんなはずじゃなかったのに」と発言しており、事の重大さが伝わってくるようです。いったいどのような内容なのか動画を見てみたところ、キムスバファンなら歓喜すること間違いなしのお知らせとなっていました!

    木村昴、「こんなはずじゃなかったのに」重大なお知らせ

    声優としてだけでなく、おはスタメインMCやラッパーとして活躍、さらには天才劇団バカバッカの座長を務めるなど多岐に活躍している木村昴さん。

    YouTubeおはスタチャンネルでも、元気いっぱいな姿をみせてくれており、キムスバファンならチェックしているチャンネルの一つではないでしょうか。

    そんな木村昴さんが、5月7日に重大なお知らせをおはスタチャンネルで発表しました。

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    重大なお知らせにファンが歓喜

    動画の冒頭では、いつもの元気なスバにぃがご挨拶。

    しかし、徐々に神妙な顔つきとなり、「本当に、凄く大事なお知らせだから、ちゃんとスバにぃの口からみんなに言おうかなと思って」「ごめんなさい、こんなはずじゃなかったのに」「ちゃんと明るく頑張るって思ってたのに」と語り、おはスタチャンネルが始まってから3年経ったことを報告しました。

    そして本当に楽しかったなと、3年間を振り返りったのです。

    まるでおはスタチャンネルが今回の動画で最後となるかのような雰囲気を醸し出していますが、さすが演技派の木村昴さん。

    「この動画を持ちましておはスタチャンネルは、さらにパワーアップすることになりました~!!」と元気に報告したのです!

    「びっくりしたよ」「チャンネル閉鎖になるのかと想った!」「スバにぃ卒業するのかと思った。」というコメントネット上に寄せられました。

    その一方で、「こんな感じだろうなと思った。」「この展開、当然知ってた。」「スバにぃらしいっちゃあスバにぃらしい。」と、木村昴さんらしい重大報告発表の仕方に歓喜しているファンの方も。

    以前は「人生終了のお知らせ」とつぶやきファンを歓喜させた木村昴さん。

    さらにパワーアップしたおはスタチャンネルも楽しみでなりませんね!

    木村昴プロフィール

    芸名(読み):木村昴(きむらすばる
    生年月日:1990年6月29日
    出身地:ドイツライプツィヒ
    2005年アニメドラえもん2005年シリーズ)』のジャイアンの新声優に抜擢され、本格的に声優として活動を開始している。
    ラップ好きであり、キャラクターラッププロジェクトヒプノシスマイク』では、作詞も務めている。

    sourceタレント辞書, おはスタ



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    木村昴(31)「こんなはずじゃなかったのに」重大なお知らせでファンが衝撃


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    語る。

     声優の三ツ矢雄二さんと日髙のり子さんによる対談特番番組『三ツ矢雄二の超声優祭くじメイト特番~なんでもCV:三ツ矢雄二編~ #2@超声優祭2022』が、2022年4月28日20時より、ニコニコ生放送にて放送されました。

     『タッチ』の上杉達也(三ツ矢さん)、浅倉南(日髙さん)としての出会いから始まり、じつに37年間にわたってアニメファンから愛されてきたこのコンビ。今回もそんな期待に応えて『タッチ』収録当時の裏話などを、絶妙なコンビネーションで語っていきました。
     
     この記事では、番組内のトークの中から、とくに印象的だった当時の思い出エピソードピックアップして紹介していきます。


    『タッチ』現場での感動エピソード。三ツ矢さん「あっしのことをもっと愛して!」 

     おふたりの共演作といえばやはり『タッチ』なわけで、オープニングでは「僕らはセットでいろいろな番組に出てきているから、『タッチ』のこともしゃべり尽くしてちゃっているんだけどね」と三ツ矢さん。

     しかし、すかさず日髙さんが「だけど三ツ矢さんは、しゃべったことをほどよく忘れてるでしょ」とツッコみ、「いつでも新鮮な気持ちで当時のエピソードを語れる得な体になったと思いましょう!」と話したことで早くも笑いが巻き起こりました。

     そんな日髙さんが、三ツ矢さんと初めて会ったのは『タッチ』の制作発表会の際六本木ディスコを貸切にして行うという、当時のアニメ業界としては異例の形式だったそうですが……そのころ声優デビューから間もなかった日髙さんは「いつもこんな華やかなんだ、アニメ業界ってすごいな」と勘違いしてしまったのだとか。

     『タッチ』の主要な役にはベテラン声優ばかりが起用されたなか、ヒロイン役としてアフレコ現場に臨むことになった新人だった日髙さん

     初回では「軽やかに演じる皆さんを後ろから見ていて、すごく楽しそうに感じた」のもつかの間、いざ自分の番になるとミスばかりして、その度に流れを止めてしまうのが非常に申し訳なかったと語ります。

     関係者のなかでも、ヒロインへの新人起用を心配する声は多かったとのこと。主役を務める三ツ矢さんのもとにも、「三ツ矢くんから日髙さんに○○とアドバイスしてあげてほしい」、「三ツ矢くんはもっと日髙さんに△△なアプローチをしてやれ」と連日電話が入っていたらしいですが……。

     三ツ矢さんとしては、制作外部からの意見は日髙さんのプレッシャーにしかならないだろうとの考えから、すべてご自身のところでシャットアウトすることを決断したそう。このエピソードを聞いていた日髙さんは、「すごい先輩!」と感激していました。

     そんな風に、先輩としてときに優しく、ときにきびしく接していたという三ツ矢さん。ある日の収録で、日髙さんの「タッちゃん」というひと言だけのセリフにどうしてもオーケーが出なかった際には、本来ならば日髙さん単独で録り直すところを付きっきりで掛け合いを演じたこともあったと語ります。

     そして、それでも行き詰まっていた様子の日髙さんに対しては、思わず「あっし(僕)のことをもっと愛して!」と激励を送ったという熱いエピソードも。日髙さんは「あっし……?」と一瞬キョトンとしてしまったそうですが、 三ツ矢さんの勢いに気圧されて「はい!」と答えてしまったと、当時を懐かしんでいました。

     その後も、『タッチ』のイベントで全国を飛び回っていた当時にまつわる爆笑エピソードが、おふたりから続々と語られていくことに。

     とあるデパートで開催されたイベントで「○時から“タッチショー”を開演いたします」とのアナウンスに、ヨコシマな期待を抱いたおじさんたちが集まってしまったというお話には、「なるほどw」「wwwww」とのコメントが多数寄せられていました。

    トンガリ役ができたのは野沢雅子さんからのアドバイスのおかげだった!?

     番組内では、なかなかイケメン役を演じさせてもらえないことを嘆く素振りも見せていた三ツ矢さん。対して日髙さんは、「イケメンボイスを求められるような場面が訪れる度に、三ツ矢さんが絶対トンガリキテレツ大百科)方向で演じる茶目っ気を見せるからでしょ!」とツッコみます

     実際、日髙さんのなかでも「みんな絶対タッちゃんを期待しているのに、なぜトンガリいっちゃうかなぁ……」というもどかしさは強くあるご様子。「三ツ矢さんのすごいところは、“裏に秘めた想いがあるなかで何気なく振る舞う演技”のうまさ」だと語っていました。

     当時、達也役としてそうした絶妙な演技を披露していた三ツ矢さんにとって、トンガリ役は自身としても非常に大きな挑戦だったとのこと。役作りにあたっては、並々ならぬ苦労があったことが明かされていきます。

     これまで主役級のキャラクターを多く演じてきたものの、脇役だからといって仕事を断ることはしたくなかったと話す三ツ矢さん。そんな想いからトンガリ役も快諾したのですが、小学生役となるなると当然これまでのアプローチでは演じきることができません。

     悩んでいた三ツ矢さんに光明をもたらしたのは、野沢雅子さんからの「小学生の子を演じたいのなら、実際に小学生の子を見ればいいんだよ」というアドバイスだったそう。かくして三ツ矢さんは近所の小学校に通い詰め、フェンス越しに遊んでいる子どもたちを見ては、はしゃぐ声を真似する特訓に励んだのでした。

     その甲斐あって(?)、あのトンガリの特徴的な演技が身についていったと言いますが……最初のアフレコトンガリボイスを披露した際の監督からの反応は「三ツ矢くん、無理しないで」だったとのこと。

     日髙さんもトンガリの役作りエピソードには感心しつつも、「やっぱり三ツ矢さんは変につくらず、脱力したときの声がイチバンいいのに」との想いを吐露。ただ一方で、「そうやって無理しがちだけど、そこがいいところでもある。三ツ矢さんはがんばってるよ!」と励ましの言葉も送っていました。


     そのほか、番組ではニコ生ゲーム縁日射的」の超声優祭バージョンプレイしたり、日髙さんが貴重なプライベート写真とともにお気に入りの「ガラスペン」を紹介するコーナーもあったりと大盛りあがり。

     ラストで日髙さんが「みんな忘れてるかもしれないけど、私は今日ゲストだったんだよ!?」と話したように、ダブルMCかと見紛うほどの息ピッタリさでたくさんのエピソードが語られていきましたので、まだ見ていない方は下記リンクよりぜひチェックしてみてください。

    三ツ矢雄二×日髙のり子対談特番の視聴はこちらから

    ・三ツ矢雄二のくじメイト~なんでもCV:三ツ矢雄二編~

    ・animelo+に入会した方の中から抽選で出演者のサイン色紙をプレゼント!



    (出典 news.nicovideo.jp)

    【声優の三ツ矢雄二さんが日髙のり子さんが語る『タッチ』収録現場の懐かしエピソード。「タッちゃん」のひと言のために付きっきりで掛け合いを【超声優祭2022】】の続きを読む



    活躍する

    「僕は、法を執行する人間じゃない」声優・若本規夫がたった1年で警察官を辞めた事情 から続く

     声優歴50年の大ベテラン若本規夫山寺宏一井上喜久子など同業者からも尊敬の眼差しで見られる同氏だが、そのキャリアは決して順風満帆だったわけではない。

     40代後半のときに直面した「新規の依頼が来ない」という問題に、どう立ち向かったのか? 若本規夫の人生を綴った『若本規夫のすべらない話』より一部を抜粋。(全3回の3回目/#1#2を読む)

    ◆◆◆

    最初は戸惑いを覚えた「穴子役」

     主流だった洋画の吹き替えのほかにも、だんだんアニメ、CMとコンスタントに仕事が増えていった。一つ一つの仕事にそりゃ一生懸命だったよ。吹き替えは場数を踏んでいるからなんとなく口が合うんだけど、アニメは最初、口を合わせるのに苦労した。セリフスピードからして、やっぱり映画とは違うからね。

     今も続いている『サザエさん』の穴子役は30代に入ってから始めた仕事。そのとき、たまたま穴子役が空いたんだよね。当時のディレクターが僕に興味を持ってくれてたみたいで、その後釜に僕を推してくれた。

     でも、穴子といったら、あの顔でしょ?(笑)

     最初は違和感があってね。というのは、それまで僕はわりと整った顔の役しかやってこなかったんだよ。だから、穴子の顔を見て、この顔、できるかな……って思って。

     実際何年か苦労したよ。たらこ唇だから、発音を少し重い感じのセリフ回しにしたりしてね。今思えば最初の頃は芝居はできてなかった。雰囲気だけ出していた感じ。

     自分でも手応えを感じたのは、吹き替えは『特捜班CI-5』、アニメは『トップをねらえ!』と『銀河英雄伝説』。

     合ってたんだね。自分と役との共通項があった。『トップをねらえ!』のオオタ・コウイチロウもそう、熱血だからね。『CI-5』のボーディも、『銀河英雄伝説』のロイエンタールも合っていた。

     だから穴子みたいに基本的にハマらない役っていうのは、やっぱりきついよね。でも、長い作品でレギュラーをやると、役のとらえ方が徐々にわかってくるから修練になる。

     おかげで、これが穴子だ!というのが、スパーンと出せるようになった。

    が差し替えられていたCMオンエア

     CMはまた違う。まず第一にあるのが、クライアントが納得しないとダメということ。クライアントディレクターが別にいるから、そこで意見が違っていたら、違ったディレクションをされることもある。

     一度、シャンプーのCMで、頭を洗っているシーンで、原稿に「気持ちいいことしませんか」と書いてある。「若本さん、色っぽい感じでお願いします」と言われてそういうふうにやった。「はい、OKです」と言ったあとから、なにやらモニターの向こうでもめている。こちらは「お疲れさまでした」と帰って、しばらくしてオンエアを見たら、聞こえてくるはずの僕の声が聞こえてこない。ナレーターが変わっていたんだ。僕とは全然違うタイプの声だし、表現の仕方も全然違う。屈辱だったよ。あのヤローって思ったよね。現場では何にも説明がないんだから、怖い世界だよ……。

     でも、クライアントが求めていたものと僕の出したものが違ったってことだから、しょうがないと言えばしょうがない。今の僕なら、数パターンはやるよ。オーソドックス風、おちゃめ風、バイオレンス風とかってね。5パターンくらい出しちゃう。

     そうすると、向こうはもう何も言えなくなるんだよ。「ほかに何かあればやるよ」「いや、もうけっこうです」って。

     当時は、個性というのもあまりなくて、今のように自由自在に表現できるような力なんかもちろんなかった。だから、そのとき自分の持っているいちばん最高のものを提供するということしかできなかった。

     で、もしそれを否定されたら、次がないんだ。何も出せなくなる。そういう底の浅さがあった。今なら、否定されたらじゃあこれ、これ、これっていくらでも出てくる。そのときは、精いっぱいのものをえいっと出して、否定されたら困るなあと内心ビクビクしていたよ。

    声優は「瞬間芸」

     その頃の仕事ぶりは、だんだん手応えを感じるようになってはいたものの、自分としては本当に納得いってはいなかった。

     ごまかしごまかしというか、この辺でやっておくか、こんな感じかな、というようなレベルだった。

     だんだん経験も積んで、声に説得力があるから、それなりにはなるんだけど……。今から思えば、まだまだ未熟だった。

     声優をやればやるほど、この仕事は深いと思っていたよ。

     俳優は顔が出るじゃない。仕草もある。でも、声優は声だけ。声だけで、説得力のあるキャラクターをつくっていかなくちゃいけない。ここが難しい。

     でも声優の仕事を辞めようとは思わなかった。ほかに行くところもないしね。ここでやるしかない、そう思って踏ん張っていた。

     単にキレイにしゃべって、形だけ揃えて、どうだと言っても、それでは本当に満足いくものにはならない。それらしくしゃべるんじゃなくて、それにならなゃ……。

     声に、語りに、その人の「裏」が出てこないと。だけど、そこに行くのがなかなか難しい。誰も教えてくれないからね。ディレクターだって先輩だって、教えられない。ダメ出しはできるんだけど、じゃあ、どうすればいいのかっていうことは誰も教えられない。

     要求を聞きながら、批判を浴びながら、こうかな、こうかなって変えていって、試行錯誤して、もがきぬいて、自分なりの正解にたどり着く。

     声優は瞬間芸。その瞬間に、これだっていう声が出せないとダメ。要求されて、1週間考えてきますっていうわけにはいかないからね。

    ふと気づいたら「新規の仕事の依頼がない」

     26歳から声優を始めて、40代までは、売れっ子というほどでもないけれど、それなりに仕事が来ていた。23人いたスクールの同期も、一人消え二人消え、だんだんいなくなっているなかで、続けられているということは本当にありがたいことだった。

     しかし、50歳になるちょっと前かな、47、8歳の頃。ふと気づいたら、仕事がレギュラーだけになっていた。新規の仕事の依頼がない。事務所に電話して聞いても、ラチが明かない……。

     これはおかしい。あれっと思ったよ。人間、窮地に追い込まれると周りのせいにするんだよね。事務所が積極的に動いてないんじゃないかとか……前にも話したように事務所が仕事を取ってきてくれるわけじゃない……。じゃあ何でなんだろう。そう思って、自分の作品をさかのぼってずっと、観直してみた。いろんな角度から見た。視聴者目線、役者目線。そして、プロデューサー目線を意識して見てみた。

     わかったのは、僕の演技は中心をよけて堂々巡りをしているということ。形はそこそこいいんだけど、形だけだった。だから、飽きられるんだなとわかった。中心を突いていない。もしくは、裏というものが出ていない。

     人間は表だけで普段は過ごしている。ところが、裏へ回ると、「あのヤロー、ぶっ殺してやる!」とか、表には出せないようないろんな思いがあるじゃない? そういう裏がにじみ出るような、つまりは深みが感じられるような声作りをしなくてはいけない。

     そのとき、声優になって25年がたっていた。でも、一回築き上げてきた形をすべて潰さなきゃいけないと思った。積み上げてきたものを壊すのは正直怖い。だけど、思い切って捨てなきゃダメだ。それで、僕は捨てた。

     飽きられないために。声優を本業にするために。声で勝負する人間として生きるために。それには鍛錬が必要だと思った。僕は、一から自分を鍛え直すことにした。

     50歳の決断だった。そしてこれが、新生・若本規夫の始まりだった。

     

    (若本 規夫)

    声優歴25年目にして若本規夫が「すべてを捨てる決意」をした理由とは?(筆者提供)


    (出典 news.nicovideo.jp)

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    プライベートの部分が明らかに。

    声優の上坂すみれが、4月19日に放送されたバラエティ番組「声優と夜あそび 火【たかはし智秋×上坂すみれ】#2」(ABEMA)に出演。“家での過ごし方”を赤裸々に語った。


    番組はこの日、新コーナー「実録!女声優の赤裸々トーク」を実施。その中で部屋着についての話題となり、上坂は自宅でコスプレをする“宅コス”を1人楽しんでいると告白する。

    「宅コスが好きで、メイド服とか、スク水とか、ナースとか悪魔とかを着て、家事をするのが楽しいんです」と話し、「自分が面白いんです!鏡を見て着て、まずそれが面白い。今日はチャイナ服で〜って。でも宅配便が来た時は着替えますよ。その上からダボいワンピースを来て出るんです。チャイナ服の上にワンピースを着る自分もまた面白くて…」と不思議な趣味を明かす上坂に、番組の相方・たかはし智秋は「それ1人でやってるの!?マジで…!?」と困惑。


    さらに、上坂は「寝るときはなにも着ないんです。下着はありますけど、衣服は着ないです」「昔はパジャマを着て寝ていたんですけど、旅館とか行っても起きると全部取れていて。その寝心地がめっちゃ良くて、パジャマは起きた時に着ればいいんだって思ったんです。快適ですよ〜?」と赤裸々に家での過ごし方を明かし、たかはしは仰天、目を見開いた。

    一方でたかはしは、外では露出が高い服が多い反面、自宅ではかなり着込んでいることを告白。「家に帰ったらほとんどの穴を塞いで寝るよ。マスクアイマスクマフラーもして…」「家で(肌を)出そうとはさっぱり思わないというか、みんなのためのご参パイみたいな(笑)」と話し、2人の真逆な私生活が明かされた。


    (出典 news.nicovideo.jp)

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    心よりご冥福をお祈りいたします。

    1 朝一から閉店までφ ★ :2022/04/12(火) 19:56:08.11

    [2022年4月12日19時52分]

    「キン肉マン」のミート君や、「ONE PIECE」の海軍本部中将“大参謀”つる、「キャンディキャンディ」キャンディ役などを務めた声優、俳優の松島(まつしま)みのりさんが8日、膵臓(すいぞう)がんのため死去した。81歳、千葉県出身。所属事務所が12日、発表した。

    同事務所は「松島みのり儀(81歳)病気療養中のところ薬石効なく令和4年4月8日午前7時45分に膵臓がんの為 永眠いたしました」と報告。
    「尚 葬儀告別式につきましては親族のみにて滞りなく相済ませました」とし、「ここに生前の御厚誼に深謝するとともに謹んでご通知申し上げます」と記した。

    子役から、NHK演技研究所、劇団三十人会、劇団新劇場などを経験。所属事務所の公式サイトによると、松島さんはアニメの他にもTBS系「THE 世界遺産」や日本テレビ系「世界の果てまでイッテQ!」「世界まるみえテレビ特捜部」のナレーションなどを務めた。

    ▽松島さんのその他の主なアニメ声優作品

    怪物くん(ヒロシ)

    ニルスの不思議な旅(イングリット)

    たんけんゴブリン島(アーク)

    ガラスの仮面(姫川亜弓)

    スーパージェッター(水島カオル)

    どろろ(どろろ)

    あかねちゃん(あかね)

    てんとう虫の歌(ひよこ)

    ドカベン(山田太郎の妹サチ子)

    ハニーハニーのすてきな冒険(ハニーハニー)

    南の虹のルーシー(ルーシー・メイ)

    南の国のパームタウン(ダリアコッカー)

    アニメ週刊DXみぃファぷー ファンファンファーマシー(ふきこさん)

    ほえろブンブン(ブンブン)

    ドラえもん~のび太のアラビアンナイト~(ミクジン)

    好色一代男(小紫)

    https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202204120000939.html


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