赤井沙希さんのような芸能界で活躍している方にとって、マスコミの存在は本当に恐ろしいものなのですね。彼女が高校時代に感じたその恐怖が、今でも尾を引いているのかもしれません。

「私はお父さんの子どもじゃないんだ」父・赤井英和とは14年間会えず…赤井沙希(36)が幼少期に抱いた“複雑な思い”〉から続く

 今月12日にプロレスラーを引退した、タレント赤井沙希さん(36)。彼女は、元プロボクサーで俳優の赤井英和さんを父に持つことで知られている。両親が幼い時に離婚し、父親の記憶がほとんどないまま育った赤井さんは、芸能界デビューをきっかけに父親と再会。その後、“赤井英和の娘”というレッテルに悩みながらも、芸能界とプロレス界で活躍してきた。

 そんな彼女が、自身の半生を綴った著書『強く、気高く、美しく 赤井沙希・自伝』(イースト・プレス)を上梓した。ここでは同書より一部を抜粋し、モデル時代のエピソードファースト写真集発売の経緯、父・赤井英和さんと14年ぶりに再会した際のエピソードを紹介する。(全2回の2回目/1回目から続く)

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思いと行動の矛盾

 有名な雑誌だと『JJ』や『CanCam』の着回しコーデのモデルも経験しましたが、雑誌のモデルにしては身長が高すぎるのと、骨格が大きすぎるんですよね。 

 用意された靴が入らなくて、そういうときは滑りを良くするためにゴミ袋を履いてからブーツを履いていました。めちゃめちゃ痛いし、むくんでパンパン……。

 モデルとちゃんと言えるほど細くはなかったので、お洋服も無理やり着ていました。 

 そこまでプロ意識がなかったんだと思います。学校の帰り道で定食屋さんで唐揚げ定食を食べて、家に帰ってからも夕飯を食べたり。

 好きでモデルを始めたはずだし、せっかくチャンスももらえていたのに、それを絶対掴もうという考が至りませんでした。

外見はずっとコンプレックスだった

「もっと美人になろう」とか「太ってるからもっと痩せなきゃ」とか思っているくせに、いつもどおり唐揚げ定食を食べていて、矛盾しまくっていましたね。行動と考えが一致していなかったです。 

 外見はずっとコンプレックスだったし、そもそも自分の性格も好きではありませんでした。基本的に明るい性格ではないですからね。

 現場でモデル仲間とヘアメイクさん、スタイリストさんがタメ口で楽しそうに喋っていたりすると、疎外感を抱いていました。

どれがいいとか悪いとかじゃなく、いろんな価値観がある

 海外ブランドショーに出演するために、中国にも行きました。わたしは頬骨が出ているのを気にしていたんですけど、アジア系のモデルさんは、エラが張って、頬骨が高くて、目が細いことを、むしろ武器にして活躍されていました。自分の価値観って小さかったなと思いましたが、自分の身近な人は「二重でまつ毛ぱっちりが可愛いよね」という考え方で。

 どれがいいとか悪いとかじゃなくて、いろんな価値観があることを学んだ時期でした。 

 余談ですけど、芸能界で活躍しているある方が海外のショーに出たとき、乳首が透けていたことがあったんです。透けている素材のお洋服なので、むしろニプレスを着けるほうがヘンなんですけど。なのに週刊誌が「透け乳首を激写!」みたいなことを書いていたんですよね。マスコミって嫌だなあと思った記憶があります。それこそ、いろんな価値観があるんだなって。

 そうやっていろんなことを吸収しながらも、「明日も唐揚げ定食を食べるぞ!」みたいなスタンスは変わりませんでしたね(笑)

写真集の発売が決まるも……

 17歳のとき、所属していた事務所から「ちゃんとデビューしよう」と言われました。「え? いままでのはなんやったん?」と思いましたけど、当時は写真集を出すことが正式なデビューとされていたんですよね。

 グラビアではなくて、あくまでもモデルとしての作品撮りということで、綺麗な感じでした。タイトルは『Saki』。そのときは沙希という芸名だったんです。「世の中にわたしのことを知っている人なんていないのに、だれが買ってくれるんだろう?」と不安でいっぱいでしたが、やれるだけやってみようと思って、猛ダイエットしました。身長173cmくらいで58kgくらいあったんですけど、運動と食事制限で48kgまで落としました。

 写真集の発売がリリースされることになり、「頑張ったかいがあったな」と思っていたら、新聞の一面に「赤井英和の娘、デビュー」と書かれて……。

 当時は言わない約束だったのに、事務所リークしちゃったんですよね。「言わへんって言ってたやん」と憤った一方で、その写真がめっちゃ盛れていたんですよ。それはちょっと嬉しかったです。

週刊誌の人が来たことも

 学校にもわたしが赤井英和の娘だということがバレて、また後ろ指をさされるようになりました。マスコミの人たちがうちに来て、「暴露本を出しませんか?」と言われたりもしました。

 父がバツイチだということを知らない人が多かったみたいで。待ち伏せされたりもしたし、家で留守番をしていたら、週刊誌の人が来て「お父さんの昔のことを教えてもらえますか?」と言われて、怖かったです。なんで嵐山のなんの変哲もないマンションに来るんだ? なんで知ってるの? 母の職場にも来たりして、そこでわたしたちがなにか言ったところで、だれも幸せにはならない。わたしハッピーになるわけでもないし、父も母も、いまの父の家族も、週刊誌を読む人だってべつにハッピーじゃないでしょと思いました。

との再会、デビューの報告

 父にちゃんとデビューの報告をしたほうがいいんじゃないかということで、当時の事務所と、向こうサイド事務所がそういう場を設けてくれました。

 父にちゃんと会うのはサル山以来だったので、14年振りとか。母と姉と事務所の人も一緒に、京都から電車に乗って、大阪で会いました。

 会うということはわたしの話は聞いているんだろうけど、本当にわたしのことを覚えているのかなと不安でした。もちろん一緒に写っている写真もあるから知ってはいるんだろうけど、わたしのことをどう思っているんだろうとか。お父さんっていう人に会うってどんな感じだろうとか。もういろんなことを考えました。ホテルの部屋の扉を開けた瞬間、ライトがたくさんあって、明かりの中で父が立ち上がって、「おっきくなったなあ」と言われました。「あ、テレビのまんまの人や」と思いました。

 ハグされて、「これから十数年、空いていた溝を埋めていこうな」と言われて、泣くつもりなんかなかったのに、ワーッて泣いちゃって……。それはたぶん小さいとき、布団の中で泣いたりしていた自分を思い出して、あの小さい子が救われたというか、「もうあんな思いを、あの子はしなくていいんだ」と感じたんですよね。

 あのとき、わたしがなにを求めていたのか自分でもわからなかったけど、「わたしが欲しかった言葉をくれる人だな」と思いました。そっか、これって溝だったんだなと。かといってべつにまた家族4人で暮らすわけじゃないし、母と姉は複雑な思いを抱いていたみたいです。でもわたしは人前に出る立場で、いまはDDTだったり事務所だったり、いろんな“家族”がいる中で、父の立場もわからなくはないなと感じるようになりました。

(赤井 沙希/Webオリジナル(外部転載))

赤井沙希さん ©文藝春秋


(出典 news.nicovideo.jp)