二人とも大物歌手として活躍してきた先輩後輩。しかし、今回の言い争いでは“薄っぺら”という言葉が出てきたようで、これはお互いにとって痛いコメントではないでしょうか。

 ジャニーズ事務所の故・ジャニー喜多川前社長による性加害問題を巡り、同事務所に40年以上所属していた歌手の近藤真彦が19日、大分・大分市で「隠しごとなしに正々堂々と話をしてもらえれば。そうでないと皆さん納得しない」と苦言を呈した。近藤は20日、同市で開催された「全日本スーパーフォーミュラ選手権」のPRで同県庁を表敬訪問。報道陣の取材に応じ、14日に公開された藤島ジュリー景子社長の謝罪動画で性加害を「知らなかった」と発言したことについて、「知ってた、知らなかったでなくて、知ってるでしょ」と疑問を呈した。

 近藤は1977年、13歳で同事務所に入所。1979年ドラマ3年B組金八先生』(TBS系)の生徒役で共演した歌手・田原俊彦ギタリスト野村義男とともに「たのきんトリオ」として一世を風靡した。1980年シングル「スニーカーぶる~す」でソロ歌手としてデビューし、80年代を代表する男性アイドルとして芸能史にその名を刻んだ。ジュリー氏の母で故・メリー喜多川氏の寵愛を最も受けたといわれていたが、2020年11月に発覚した25歳下の女性との5年不倫による“後始末”として、2021年4月に同事務所を退所した。

 今回、近藤の“古巣批判”には驚きの声があがった。かつて近藤は、ジャニーズの“長男”と称され、実権を握り“手厚い盾”の恩恵で、不倫騒動も黙認されるとみられていた。だが近藤の退所を受け、後輩たちに激震を走らせた。

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 また、近藤の2歳年下で同事務所の“次男”と呼ばれた少年隊東山紀之は事実上、“長男”に昇格。退所が発表された2日後の同年5月、東山は自身がキャスターを務める『サンデーLIVE!!』(テレビ朝日系)で近藤を痛烈に批判した。

 番組で近藤のニュースが扱われると、東山は「退所の仕方に大きな疑問が残る」と切り出し、後輩や事務所スタッフに退所の説明がなかったことを明かした。さらに、近藤の退所コメントについても「薄っぺらく感じる」と険しい表情で厳しい言葉を並べたのだ。

 この発言にファンや芸能界は騒然。両者に確執が生じた瞬間ともとれたが、かつては良好な関係を築いていた“兄弟”であった。

 同月、ニュースサイト『文春オンライン』では両者の関係性に触れ、「若手時代の近藤が、もっとも気にかけていた後輩が東山なのだ」と報じた。記事では、両者がジャニーさんから直々にスカウトされたという共通点を挙げ、「それもあって1979年に2人が初めて会った時、近藤さんは東山さんに『お前か?新しい“ジャニっ子”は』と声をかけたそう。東山は当時の第一印象を『大きい人だなと思った』と後に語っています」といった、“アイドル編集者”の話を掲載。当時、まだデビューも決まっていなかった東山にとって、近藤は「まぶしい存在だった」とし、トップアイドルの座を手に入れた近藤を合宿所で世話していたのが東山だったという。東山は1982年少年隊メンバーになった後も、1985年デビューまで、近藤のバックダンサーとして踊り続けていた。

 そんな“舎弟”から、退所の決断に「これから(説明)するのか、どういうふうになっていくのか見ていく必要がある」と提言され、「自分を犠牲にして助けてきたスタッフの思いを、マッチさんはどう受け止めるのか」などと、おしかりを受ける形に。おそらくだが、近藤にとってもショックだったことだろう。

 翌6月、近藤は都内で行われたパチスロメーカーサミーの新規事業に関する発表会に参加。退所後初のイベント登場となり、報道陣からは矢継ぎ早に質問が飛んだ。ジャニーズの後輩と連絡を取ったのか問われた近藤は、「退所する前にいろんな方から連絡をもらいました」と回答。だが、東山との連絡については「いや、それは話してない」と否定し、こじれた関係性をうかがわせた。

 今月21日、東山は『サンデーLIVE!!』で冒頭の問題に触れ、事務所の最年長者として生謝罪。さらに、「そもそも、ジャニーズという名前を存続させるべきなのかを含め、外部の方とともに全てを新しくし、透明性を持ってこの問題に取り組んでいかなければならない」との見解を述べたが、22日のニュースサイト『日刊ゲンダイDIGITAL』では、近藤の発言より後れを取った東山に「“ジャニーズ長男”のメンツ丸潰れ」とやゆした。事務所の新旧トップが異例とも取れる発言をし、芸能史を揺るがす事態がこれから起こるであろう。

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(出典 news.nicovideo.jp)