決断する。

1 muffin ★ :2023/01/08(日) 19:13:48.35ID:jhzSDAgu9
https://chanto.jp.net/articles/-/1001931?display=b
2023.01.08

2001年に結婚。長男を出産してから10年後に、次男の美良生(みらい)くんを授かった奥山佳恵さん(48)。
ふたりの男の子、とりわけ障がいをもって生まれた次男をどう育ててきたのでしょうか──。

中略

── 弟の美良生くんは11歳になりましたが、どう育ってきましたか?

奥山さん:次男はダウン症をもって産まれてきましたが、長男に比べて育てやすいところがありましたね。
長男が小さいころはなかなか寝てくれず、私も産後うつになりかけていて、それが藤沢移住のきっかけにもなりました。
当初、ダウン症は私たちにとって家を破壊する“モンスター”なのではないか、という根拠のない恐怖感がありました。
でも実際は、よく寝てよく食べてくれるいい子で、“ギフト”だと思うようになりました。
いわゆる定型発達の子と比べて発育がゆっくりで、できないこともありますが、ある意味、理想の子どもですね。

── 美良生くんの障がいがわかってから、すぐに前向きになれたのですか?

奥山さん:私と夫はやはりショックがあり、受け入れるまでは時間がかかりました。ただ、まわりと比べても苦しむだけで、意味がないことがわかってからはラクになりました。
一般のお子さんでも、得意なこと不得意なことがありますし、ダウン症の子どもでも成長の速度や、できることできないことはまったく違います。
美良生のペースに合わせて見守り、ダウン症は彼の特徴や個性のひとつだと考えるようにしました。

中略

── 美良生くんのダウン症を公表することに葛藤はありましたか?

奥山さん:そうですね。成長の過程がゆっくりで、一般の子どもとは違うことがわかるので、途中からブログで書きにくくなりました。
仕事にも影響があるかもしれないと悩み、夫や事務所にも相談しましたが、最終的には長男が背中を押してくれました。
「こんなにかわいい子のことを公表しないのはおかしいよ」と言ってくれたんです。
ダウン症の子が思っていたより、“普通”であることも知ってもらいたかったので、公表することにしました。

──出産直後には、奥山さんのお母さまにダウン症のことを伝えるのをためらったとか。

奥山さん:母とは仲よしでしたが、動転していたこともあり、障がいのある子を否定されたらどうしようかと思い、なかなか言い出せませんでした。
でも、「一緒に育てましょう。ところでご飯は食べているの?」といつも通りの母の口調で、私のことも次男も丸ごと受け入れてくれたので、ホッとしたのとうれしいのとで、涙が止まりませんでした。
後から聞くと、実は出産直後に美良生の顔を見たときから、ダウン症ではないかと思い、私がちゃんと育てているか、私がちゃんとご飯を食べているかをずっと心配して、考えていてくれたそうです。否定どころか、初めから私たちを包んでくれていた母の大きな愛のおかげで、私はやっと次男の母になれた気がします。

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(出典 i.imgur.com)